一言に健康と言うけれど、病気じゃない身体が健康を意味するのでしょうか。WHO(世界保健機構)の定義では、健康とは
「病気でないとか、弱っていないという事ではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」をいうのだそうです。
この記事では健康とは何かを改めて考え、本質的な健康について考えます。
病気でなければ健康なの?
熱発がない、風邪をひいてない、これいわゆる「健康な状態」に違いありません。 でもそれだけでしょうか。ガンに罹患した方、事故で脊髄損傷となって下半身不随麻痺となった方、幼少の頃に脳性麻痺に罹患して歩行が難しくなった方、彼らは「健康ではない」のでしょうか。
頭痛、胃痛、骨折、擦り傷などいずれは治る病気・怪我があります。治るまでの期間は「健康ではない」のでしょうか。
風邪の様に毎年かかる病気、頭痛の様に治る病気、ガンのような不治の病、これらにかかっても日常生活に支障なく過ごしている方は多いです。
弱っていることは健康に関係あるか?
核家族化で身内の死が身近ではなくなった現代、死生観が変わってきていることは確かだと思います。でも、昆虫採取をしたり、ペットを飼った経験がある人は動物が衰弱して行き、やがて命の灯が消える瞬間を経験されたことがあると思います。
疲労とは違い、「衰弱」は病気などが原因で身体が死に向かう影響があるので健康を損なっていると言えると思います。
身体が活力に満ちており衰弱していない状態、それは健康に必要な定義でしょう。
肉体的に満たされている状態とは?
起きる、立つ、歩く、食べる、着替える、入浴する、排せつする、それに加えて運動ができる、これらすべてが行えると確かに肉体的には満足な状態です。
しかし、足が動かなくても、腕や指が欠損していても日常生活を送ることが出来るし、運動をしている方はたくさんいらっしゃいます。例えばこんな動画もあります。
どうやら身体機能を損なっている、身体のどこかが欠けている、これらの要素は健康ではない条件にはならないと思います。
精神的に満たされていない状態
精神と言われると、「精神統一」とか「精神力」という言葉を小さい頃はよく聞いた気がします。戦後の高度経済成長期の日本は「根性で乗り切る!」「精神力で何とかする」、人々はそのような考えて過ごしていた気がします。
しかし、高度経済成長を遂げて、バブル経済の崩壊を経験し、長期のデフレ社会の今となっては精神と言えば、「うつ病」「引きこもり」「自閉症」「統合失調症」「ADHD」など、病名を連想する言葉になってしまいました。
これらの精神的疾患は身体の機能不全障害のように目には見えず、一見問題がなさそうに見えるので専門的な知識がないとそれと分かりにくいのでなかなか周囲の人に認められないという問題があります。
仕事ができなかったり、集団生活で協調性がなかったり、明らかに健康に対して影響があるので精神的に満たされていないことは健康ではないと言えるでしょう。
社会的に満たされているとは
社会的に満たされているとは、大きな意味で言うと社会に出て仕事をし報酬を得て、社会に貢献していることを言うと思います。では、高齢になり外出が少し難しくなってきた所謂「お年寄り」の方々は社会に貢献していなくて不健康なのでしょうか。
単位は小さいですが、実は家庭・家族も小さな社会。そこで自分なりに役割を果たして周囲に貢献できていればそれはもう「社会的に満たされている」と言えるのではないでしょうか。
規模の大きさや報酬の発生に関係なく自分が身を置いている社会・コミュニティなどに貢献していれば、それはもう立派な「健康な状態」でしょう。
まとめ
現代社会は狩猟採集民族であった人類の頃に比べて随分と複雑な生活環境になったので、単に「病気ではないこと」が健康であるための必要十分条件ではなくなってしまったように思う。
病気ではないことを大前提に、と言いたいが実は病気であっても健康であることは分かってきたので、病気であっても、身体に機能不全があっても肉体は活動的で、精神が満たされており、社会的に貢献できれば「健康」なのであると思う。
この健康を手に入れるのはどうすればいいのか、運動習慣をつけることかもしれないし、食習慣を見直すことかもしれない。睡眠の時間と質も重要となってくる。いやいやそれらすべてを含むすべての生活習慣を見直し実践することとが健康体を手に入れるのに重要になってくるのだろうか、、、少しずつ記事にして共有し、皆さんとともに考えていきたいと思います。
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