この記事は第二次ベビーブームの終焉の頃に産まれ、50歳を過ぎた中年男「アントニオ」の波乱万丈な半生を綴った第一章、生まれてから中学生までを振り返った備忘録です。
「人との出会い」と言う食べ物で、どのように人が成長するのかを書いております。どうぞ最後までお付き合いください。
まず は自分のことをすこし・・
皆さんこんにちは。私はだれ?アントニオと言います。はじめまして。これからこのブログを通じて、世の方々の健康増進、本質的な健康とは何なのでしょう、と、人の健康に役立つ情報を発信していきたいと思います。
その前に、私は何者だ?と皆さんお考えでしょうから、初回である1回目内容は54歳目前の今、これまでの人生を振り返り、折り返し地点までどのように走ってきたか、を備忘録として書き残しておきたいと思います。
この章はアントニオ生誕から中学卒業までをお送りします。最後までお付き合い下さい。
生まれてから中学を出るまで
アントニオと言いつつ日本生まれです。アントニオと言えばすかさず「猪木!!」と出る昭和40年代生まれの中年男です。第二次ベビーブームの終わりの頃の生まれ、中学高校は同級生が500人はいる、と言う空前の子供多い時代を過ごしました。それこそ、タイガーマスクのおかげで中学時代はプロレスが大流行で、プロレスと言えば猪木の新日本プロレス、馬場の全日本プロレスが業界を二分する時代でした。
幼稚園・小学校とと~っても大人しく真面目に目立たないように過ごしてきた私ですが、中学2年生の時に転校を経験しました。これが私の人生を変える始まりでしたね、今思えば。
転校先ではいじめに遭いました。日本は鎖国の歴史がありますので・・
私は南の方の生まれですが、本州で生まれてない人は外人だから、と言うのがいじめの理由。はっきり言って子供のしょーもないちっちゃな考え方、ですが当時はいじめで悩み、嫌で仕方なかったですね。
人生のターニングポイント、その1
いじめもあったので高校受験は生まれ故郷で受験して、ここを離れようと考えていたのですが、その時に人生のターニングポイントが来ました。その時に通っていた塾の先生からの一言
「人との出会いは大切なものだ、お金では買えないほど大事だ、」
その時はよくわかりませんでしたが、転校先で高校に進学しそして大学に進学することでそれがじわじわと分かってきました。
この続きは第2章でお届けします。どうぞよろしくお願いします。
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