この記事は第二次ベビーブームの終焉の頃に産まれ、50歳を過ぎた中年男「アントニオ」の波乱万丈な半生を綴った第二章、高校から大学時代までを振り返った備忘録です。
「人との出会い」と言う食べ物で、どのように人が成長するのかを書いております。どうぞ最後までお付き合いください。
高校へ進学して・・
高校は転校先の地で進学しました。進学して思ったこと、「それぞれの中学からのより集まりが高校だから、わたしが転校生と知る人はすくない」でした。同級生にとってはそんなことは知る由もなく、例え他の土地から来た人と分かってもあまり皆の態度は変わりませんでした。学力が同じくらいの人たちの集まりだからでしょうか。
高校生活が半年過ぎようとしている頃、出会いがありました。中学の時に通っていた塾で仲良くしてくれていた友人の友人が私のクラスにいることを知り、彼のご両親はその土地の生まれでなく私の受けていたいじめの意味が彼には分ったようですぐに打ち解け仲良くなりました。
高校で出会った友人が人生を変えるきっかけとなった。
高校で出会った彼とは意気投合しよく遊びました。彼の名は「だっちょ」、彼と仲良くなるほどに塾の先生の言葉を思い出していた。「人との出会いは宝だ。」
彼は文系クラスに、私は理系クラスに進んだのですが最後まで仲良く過ごしました。大学に進んでもお互いバイクに乗ってよく遊ん事を覚えています。
結局、高校時代は気の合う仲間が5人ほどできて、それが私の背中を押してくれました。大学は全く未知の土地に行こう!と決意し、友人も親戚もいない未開の地である岩手を選びました。そこでどんなことが起こるのか、だっちょとの出会いにより私は不安より好奇心が大きい人になっていたので岩手に引っ越すのを目の前にワクワクするばかりでした。
人との出会い、そしてバイクとの出会い
大学2年からはバイクに乗り始め旅(ツーリング)をしました。自由な翼が欲しかった、と言えば格好が良すぎるけど、「だっちょ」との出会いが成功体験となり自己効力感が少したかまったので自分で出会いを求めるようになったと言いたいのですけど、、実はそうではなく高校生になる直前に見た映画で地球環境保全が人生の目標となり、バイクで日本中を旅して今の日本の現状、と言うか地球環境を見たかったから、と言うのが本音のところです。
「でも、地球環境を見るつもりが私の期待はいい意味で大きく裏切られることになりました。」
旅先ではいつも出会いがあった・・
1980年~90年代は空前のバイクブームも相まって、旅先では一人になるどころか人との出会い出会い出会い、に溢れていました。ナンバープレートを見るとどこから来たのかわかる上に、バイクという共通の価値観があるので話しかける人とは殆ど仲良くなりました。いったい何人の人にあったでしょう。最初は大学4年間の間に一度だけ北海道に行ければいい、という思いでしたが、結局日本1周を2回、当時大学は東北の方でしたので親元にもどるのに自走で1000キロ走ることを何度もしました、それも旅と言えば旅でした。
バイク旅がもたらしてくれた「人との出会い」という副産物をたくさん食べて私は大きく成長しました。
それからの人生がどうなったのか、続きは第3章でお届けします。どうぞよろしくお願いします。
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